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ただの水路にしては怪しいフェンス


倉庫や工場が建ち並ぶ埋立地を貫いている金沢区内の国道357号線(湾岸道路)は、南下すると八景島シーパラダイスに行き当たる。途中の鳥浜にアウトレットモールがあり、また西側には団地が広がっているため、昼夜を問わず交通量は多い。
南下する際右手に見える丘がかつての海岸であり、このあたりはかつて小柴海岸と呼ばれる海岸が広がっていた。埋め立てにあたって何本かの水路が設けられたが、その中の1本である長浜水路には、片側だけに何やら怪しげなフェンスが立てられている。




水が目の前にあるのに禁煙?


水路や川に橋の欄干のようなフェンス・柵が取り付けられるのは見慣れている光景だが、それにしても有刺鉄線まで張られているとは尋常ではない。その上フェンスには「NO SMOKING 禁煙」と注意の書かれたプレートまで提げられている。水を湛える水路があるくせに禁煙とはこれ如何に。どうやら水路ではなく、水路に隣接している狭い緑地帯に何やら秘密がありそうだ。好奇心が湧いてくる。




米軍小柴貯油施設入口


この水路を丘の方へ辿ってゆくとこの秘密は一気に解かれる。そこには米軍小柴貯油施設があるのだ。ここでは米海軍第7艦隊が横田基地や厚木基地で使う航空燃料を貯蔵しており、大型タンカーで運ばれてきた石油類はまずこの小柴でストックされ、さらに鶴見(安善)の貯油施設へと運ばれ、そこから各基地へ輸送されている。
つまり海上と貯油施設との間で燃料のやり取りを行っているパイプラインがあの水路脇の狭い緑地帯下に埋設されているために、物々しいフェンスや「禁煙」の札が設置されていたわけである。それにしてはあんなフェンスなら橋の欄干を飛び越えれば余裕で緑地帯に入れてしまうのだが…。少々マヌケな感は否めない。
県の資料によれば小柴貯油施設の敷地は約52万平方メートルで、貯油タンクは26基あるらしい。




長浜水路河口部


水路を海側へ辿ると、ちょうど海に接した所でパイプラインが地上に現れ、そのままタンカーとの接続口であるバースに繋がっている様子がわかる。さすがにここまでくると、立ち入りを厳しく制限するためにフェンスもよりしっかりとした造りになっている。なお写真に映っているのはBバースで、鶴見貯油施設への搬出用として使われており、この沖合いには大型タンカーからの搬入用としてAバースが存在する。

この小柴貯油施設は20年近く前に一度爆発事件を起こしている。この際に横浜市消防局は施設前まで急行したのだが、米軍からの要請がないとしてフェンスの中に入ることができず、これが悪い原因となったのか鎮火までには相当の日数を要してしまい、それまで黒煙がもうもうと立ち込めていたという。 また米軍施設であるがために過激派の標的にもなってしまう。実際ブッシュ大統領の来日を控えた2002年2月には付近の高校グラウンドで、過激派の仕掛けた金属弾が小柴施設に向けて発射されるという事件が発生している。

以前にはじめてこの水路を見たときには「変なフェンスがあるなぁ」とボンヤリ思うに留まっていたのだが、調べてみると実に物騒な事実が浮かび上がってきたのだった。ボンヤリしてはいられない。




姿を現したパイプライン




Bバース


(余談)
この地域の埋め立て事業である金沢地先埋立事業は戦後まもなく構想され、1968年7月に事業化が決定されているのだが、それに先立つ1963年5月に米軍から長浜港使用要求覚書が出されている。そこには横浜市の南部海岸埋立事業に際して、小柴への水路確保の要求が盛り込まれていた。

一方埋立事業者側では、埋立事業を安全且つ効率的に進捗させるために工区を3分割するのだが、その際にもこの小柴貯油施設問題(及び厚生省横浜検疫所長浜措置場問題(*))が考慮された。というのも、小柴を有する米軍(及び厚生省)との調整には相当の時間を要することが予想されるために、それが終わるのを待ってからでは着工が大幅に遅れるので、工区を分割してこうした厄介な場所を後回しにして出来る所から施工しようとしたわけだ。この際決められた分割線のひとつである2号地と3号地の境界が現在の長浜水路にあたる。

埋立事業前には搬入用のAバースと搬出用のBバースは沖合い2箇所に分散していたのだが、埋立にあたってこれを一箇所に移設集約し、埋立地2号地と3号地との境(現長浜水路)にパイプラインを敷設して海に向かい、Aバース・Bバースに至るという案が策定された。1971年5月にこの方針が決定され、翌月には米軍へこの案を提示し、1973年3月に日米合同委員会で合意が見られ、1975年12月に移設工事が完了した。 つまりこの長浜水路は、搬入出路を確保したい米軍と、埋立事業を無難に終わらせたい事業者側の、双方の思惑をうまく折衷させた結果生まれたものだといえよう。

(*) 厚生省横浜検疫所長浜措置場
現在、金沢シーサイドタウンの南側には長浜野口記念公園があるが、ここにはかつて横浜検疫所長浜措置場という施設があった。船舶に伝染病患者が出た場合に回航される検疫のための受け入れ施設として明治期に設立され、横浜や東京をはじめ、千葉・東北に至るまでの港・海域をカバーしていた。
埋立事業にあたり、1978年8月、富岡川河口右岸に代替物揚場を設けて機能を移転させることにより、この区域の埋立事業は進捗をみることとなった。
ここには以前野口英世がほんの僅かな期間であるが勤務していたことがあるため、野口ゆかりの研究室として施設保存の住民運動がおこり、長浜野口記念公園として生まれ変わり現在に至っている。



所在地
 横浜市金沢区長浜・並木・幸浦・福浦 地図(MAPFAN)


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