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私にとって横浜の近代建築といえば、キング(神奈川県庁舎)でもジャック(開港記念会館)でもクイーン(横浜税関)でもなく、この根岸競馬場一等観覧席である。他の有名な近代建築よりも時代の下った昭和初期に建てられているのだが、重厚かつ繊細なデザイン、港町を見下ろす絶好のロケーション、横浜の他の近代建築を圧倒する大きさ、そして廃墟となったがために醸しだされてくる過ぎ去りし時代の重み。その全てが融合することにより、一等観覧席は惹きつけて止まない魅力を発し続けているように思う。

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根岸競馬場一等観覧席跡


この根岸競馬場一等観覧席跡は現在の根岸森林公園内にある。根岸森林公園は戦前まで競馬場だった。
居留外国人の要請に応える形で慶応2年この地に競馬場が設けられ、その後昭和5年にこの観覧席が建設された。
かつての競馬場は、今のようにうだつの上がらないオッサンがワンカップ大関を片手に赤鉛筆と新聞を握り締めてダミ声を叫ぶようなスタイルではなく、上流階級による最高の社交場としての役割を果たしており、それだけこの観覧席の建物自体にも気品と威厳が求められた。入場するだけでも高級旅館を1泊するのと同等の料金を支払う必要があったという。




エレベーター塔
地上7階まで観客を昇降させた


現在は残念ながら中に入ることはできないが、外観を眺めているだけでも圧巻されて思わず溜め息が漏れてしまう。空を覆わんばかりに聳え立つエレベーター塔を見上げると、まるでヨーロッパにいるかのような錯覚に陥る。また錆びたスタンドを見ると、かつての上流階級の社交の様子が偲ばれるようでもある。現役時代のスタンドは庇がガラス張りで、左右を存分に見渡せたそうだ。

とりわけこの一等観覧席跡は廃墟になっているからこそ時空軸の重みがより一層強調される。例えば、赤煉瓦倉庫は最近綺麗に整備されて多くの観光客を寄せつける名所となったが、重厚感は観光客に解放される以前のほうがあったように思う。垢を落として現在の時流と迎合した今の赤煉瓦はどこか軽佻になってしまった。それと同じ理屈で、今から60年前に使用中止となって以来、風雨に晒されながら放置され廃墟となったことにより、時流に左右されることなく歴史の重みがそのままパッケージされ、それが他の近代建築には出せない独特の味わいを醸しだしているのではないだろうか。




錆び果てたスタンド覆い




裏側から見た全景


設計を担ったのはアメリカ人のJ.H.モーガンである。1873年にニューヨーク州に生まれた彼は1920年に来日し、丸ビルや日本郵船ビルの建設に携わり、横浜においてはベーリック邸、山手111番館、山手聖公会、そしてこの根岸競馬場の各種建築物などを設計する。生涯の作品の約半分は横浜に建てられ、そのためか横浜でのモーガンの評価は高い。




米軍施設入口


根岸競馬場は昭和18年に戦争のため閉鎖され、敗戦後は米軍に接収された。昭和44年に一部が接収解除となって根岸森林公園及び競馬記念公苑が整備され現在に至っている。いまだネイビーの敷地は接収解除になっておらず、このため森林公園はこの敷地によって二分されている。
一等観覧席のスタンド正面はちょうどこの技術工作隊の敷地になっているため、正面から一等観覧席を望むことはできない。いずれ接収が解除された暁には、是非スタンド正面から眺めてみたいものだ。




紅葉の中に聳える観覧場の3本の塔
幻想的な趣きすら感じられる


最後に…。さんざん廃墟であることのメリットを述べておきながら矛盾するのだが、やはり適切な保存を望みたい。このまま老朽化して崩壊してしまうのは非常に勿体無い。この建物の周囲を公園として整備し、説明プレートまで設けているということは、横浜市も保存する意思を相当高く持っているはずなのだが、恐らく米軍施設と隣接している現状が保存への手続きを阻んでいるのだろう。つまり接収解除を待つしかなく、こればかりは市町村レベルでどうこうできる話ではない。来るべき時が訪れるまでは指を咥えるほかなさそうだ。




説明プレートの写真(一部)
昔日の様子が窺える


所在地
 横浜市中区簑沢・根岸森林公園内 地図(MAPFAN)


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