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陸軍機甲整備学校

現在の所在地:世田谷区桜3丁目・桜丘1丁目

現状:東京農業大学、東京農大付属第一高校、住宅地など




門柱




境界石1
太字の篆刻




境界石2
細字の篆刻




庚申塔と境界石3




当時の門柱?


 東京農大といえば応援団の大根踊りが有名であるが、この踊りには正式名称があって「青山ほとり(おどり)」という。なぜ青山なのかといえば、そもそも東京農大は戦前まで青山の近くにキャンパスを構えていたからである。厳密には渋谷の常盤松という場所であり、現在の実践女子高や国学院大学のキャンパスがある一帯なのだが、実質上渋谷よりも青山の方が近いのでこの名称になったのだろう。
 常盤松の校舎が空襲で罹災したため戦後に世田谷区の経堂へ移転し現在に至っているのだが、大学が移転してくる前までここには陸軍の機甲整備学校があった。機甲整備学校とは早い話が自動車学校・自動車整備学校のことで、校内には戦車などの演習のために坂路や穴など各種障害物が設けられたコースが建設された他、整備工場や研究所も建てられた。

 現存する機甲整備学校時代の遺構は門柱と幾本かの境界石で、門柱は現在も農大の正門として現役である。かつては農大キャンパス内や隣接している民間の自動車工場内にも当時の建物があったのだが、いずれも建て替えられて新校舎やマンションになってしまったため見ることはできない。

 境界石は「陸軍用地」と彫られたものが農大キャンパスや付属高校の周囲に沿って何本か残っているのだが、これには2タイプあって、一方は太字で深い篆刻であるのに対し、他方は細字で浅い篆刻となっている。この違いから機甲整備学校の拡張の歴史を辿ることができるのだが、それについては或る碑文が明瞭に伝えてくているので簡単に紹介したい。

 農大キャンパスの裏(北側)には江戸期からの古道が通っており、道沿いには道標を兼ねた古い庚申塔が建っているのだが、今から約40年程前に新しく替えられた庚申塔の台座には当地が機甲整備学校だった頃の話が刻まれている。そこには移転の経緯や訓練の様子、敷地拡張・用地買収の過程、敗戦後の跡地の利用、などについて語られている。
 このうち土地の買収に関する部分を掻い摘んでみると、まず大正5年に学校設立が決定して土地の買い上げが地元に通知され、坪1.8円で買収されてすぐに着工し、翌年に輜重兵大隊から80名が自動車班としてここに着任する。大正10年には第2次買収通知があり、6000坪の土地が坪4円で買い上げられて研究部が建設された。そして昭和12年にも馬場建設のため第3次買収が決定され、600坪の土地が坪6円で買収されている。

 さて境界石についてであるが、太字で深い篆刻のタイプは付属高校付近で見られ、細字で浅い篆刻のタイプは大学や庚申塔周辺で見られる。付属高校は第2次買収で建設された研究所の跡地に設立されていることを考えると、前者の境界石は大正期のものであり、後者は昭和期のものであることがわかる。

 なおこの古道と現在の農大通りとのT字路の角に、使われていないコンクリート製の門柱が1対、塀に埋もれるようにして建っている。形状や大きさが板橋区加賀にある造兵廠のものに似ており、また終戦時にGHQが撮影した航空写真にもこの場所に門が存在していることから、もしかしたら陸軍時代に裏門の門柱として使われた物かもしれないのだが、はっきりしたことはわからない。



陸軍獣医学校

現在の所在地:世田谷区代沢1丁目

現状:駒場学園高校、区立富士中学校など




境界石



周辺の様子


 現在の世田谷区池尻や目黒区大橋にかけての一帯には、かつて輜重兵連隊や騎兵第一連隊の兵営があったが、1910年にこれらの北西の端に当たる一角へ目黒から陸軍獣医学校が移転してきた。

この学校では獣医学の研究はもちろん、防疫、化学兵器の研究と対策、病理解剖なども行われた。また外来診察も行った。 必然の理とでも言うべきか、この手の施設ではどうしても動物の死体が多く発生する。以前都営住宅を建設する際に土を掘り起こしてみたら、相当数の馬の骨が発掘されたという。校内には関係者によって1928(昭和3)年に「動物慰霊之碑」が建てられたが、この碑は現在墨田区両国の回向院に移されている。

 現在陸軍獣医学校跡地には駒場学園高校が建てられているが、この学校にはかつて全国唯一の装蹄畜産科という専門コースがあった(現在はない)。これは獣医学校時代の流れをくむものなのだろうか。なお同校校長の笠原喜四郎氏は戦地で馬を扱っていたため、軍馬慰霊の意をこめて平成2年に「陸軍獣医学校」碑と「軍馬碑」が校内の正門近くに建てられてた。淡島通りからだとフェンス越しに碑の後ろ姿を見ることができる。

 当時の遺構と呼べるものはほとんど消滅しており、駒場学園や富士中学校の東側に沿った道沿いに「陸軍用地」と彫られた2本の境界石が残っているだけである。


撮影地データ


陸軍機甲整備学校

正門
桜丘1-1(東京農大の正門)

境界石1(太字)
桜3-33

境界石2(細字)
桜丘1-4

庚申塔
桜丘1-4

門柱?
桜丘1-4、桜3-33


陸軍獣医学校

境界石
代沢1-23、1-8



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